待つのと待たせるのはどちらがマシか。
どちらの方がいいかな?
と言えばそれまでなんだけど、実際にその立場にたったときに自分自身はどう思うのか。
こんにちは、管理人のくたです。
今回は「待つ事」と「待たせる」こととどちらがマシかについて。
昔の人がすでに同じ事を考えていた
待つこと、待たせることについて。
よく考えてみたら、すでに昔の偉人がそんなことをすでに考え、物語にすらしていました。
まぁ、それを言ってしまうと今回の話はそれで終わってしまうので、それは無しの方向で。
さて、すでに考えられているといったその物語は「走れメロス」です。
誰もが知るであろう太宰治の小説ですね。
今まさに処刑されんとする友の為に懸命に走るメロスと、その帰りを今かと待つ友。
これは太宰治自身の実体験が元になったと言う話があるのです。
話は大分端折りますが、自身の借金のために師匠にお金の工面に行く太宰。
それを信じて借金取りと待つ壇。(太宰の友人)
しかしいくら待てども来ない太宰。
しびれを切らした壇は借金取りを伴い、太宰の元を訪ねると
師匠と共に将棋に明け暮れておりました。
その場を目撃した壇と借金取りは、太宰に詰め寄り何をしているのかと問い詰めます。
そこで太宰が発した言葉がこれです。
待っている側からすれば「何を言ってるんだこの人は?」となりかねない台詞ですが、太宰治からすれば「待たせている側も悪いと思い、心苦しいのだ」という心情を口にしたと言うところでしょうか。
言っていることは一理あるとも思えます。
では、自分がそれぞれの立場になったときにどうでしょうか。
※ちなみにこのときの太宰治は借金の話を切り出せずに将棋に興じていたと言われています。
それぞれの立場になって考えてみる
ではそれぞれの立場になった時、自分自身がどう思うかを改めて考えて見ると・・・
待つ側が考えること
- 時間になっても来ない
- 携帯電話にも出ない
- もうすぐ来るかもしれないので、その場から動けない
- いつ到着するか分からない
- そもそもこちらに向かっているかすら分からない
待っている時に思い浮かべそうなことを並べてみました。
言われるまでもなく、いつになるか分からない相手を待つ側というのは辛いものですね。
このときの辛さをあえて表現するなら、待つことによる「不自由さ」でしょう。
待たせる側が考えること
- 急がないと
- 相手は怒ってるかな?
- 到着まであと何分掛かる?
- 相手に迷惑をかけてしまったな
- 後でお詫び(埋め合わせ)をしないといけないかな?
こんな所でしょうか。
基本的に待たせている側には実害はないですね。
待たせている側の辛さとは相手に対する「罪悪感」ですよね。
ではその「不自由さ」と「罪悪感」がどちらが辛いかといえば・・・
今回は以上です。